最近なんとなく思ったことは、今だからこそちゃんと長い文章を読みたいな~ということ。
長い文章っていうのは、論文とかじゃなくて、誰かが時間をかけて書いたそれこそブログとかの記事。
そこから何か情報を得たいというより、みんな何考えて生きてるんだ、、、、って常々思ってたのでそれを覗きたい感覚。エッセーとか、小説とかでもいいんだけど、リアルタイムであればあるほどなお良い。
私は人に思ったことを伝えるのが苦手で、よく1人で壁に話しかけてしまう。ちゃんと伝えたい人に言いたいことを言語化できずこの世の終わりみたいな気分で生きてることが、まぁ結構な頻度で起きる。
そういうとき、誰かのリアルな死にたいとか、しんどいとか、それに付随する怒りを見るとふとおさまったりすることがある。twitterは一番リアルタイムかもしれないけど、あれだと少し情報量が少ない。
(言ってる本人は本気でそう思ってるとおもうが)
私が覗きたい”死にたい”とかは、なんだかよくわからないけど何かに対してめちゃめちゃ怒っていて、どうしようもなくて、文章も支離滅裂なくらいがちょうどいい。とにかく140字では収まらないくらいの熱量を感じたい。
何となく覚えてるのは、医療従事者がコロナの影響で、マスクがどうとかっていう記事。めちゃバズっていたが後に、執筆者が医療従事者ではないということを指摘されていた。
嘘っぱち文章だとすれば、嘘でもあんなに怒りを綴ることができるのは
あれはあれですごい気もする。
とはいえ、人が見るものなら信憑性のある話を心がけたい。
私もこの一年間ここ数年で一番感情の起伏が激しい毎日を過ごした。
そんな中でいろんな要素が救ってくれて、そのうちの一つが誰かが書いた文章だったなと。
いちいちブックマークとかはしていないのでそのときの気分で何かしら見てたんだという淡い記憶。
時間もたーっくさんあるので、長い文章をゆっくり読むのも必要だなと思いつつ、じぶんが毎日何考えてるかもどっかに残しときたいなとも思ったり。
そこでブログを始めようと思って検索したら『ブログなんてオワコン!!』という広告が出てきたけど
人生が何かとオワコンなんだから今更どうしろと
読むことで言えば、もともと本が好きで、実家にいた頃は底が抜けるくらい部屋中に買った本と借りパクした本を並べてた。
でも今は掘建小屋極狭ワンルームなので、本は数冊積み重ねてカゴの中。
積ん読じゃないよ、ちゃんと読んではいる。
誰かとプライベートなコミュニケーションを言葉でとるのが苦手なので、日本が識字率の高い国であって本当に良かったと思う。読むことで得たものは大きい。
画像も然り。
視覚だけで情報が得られるというのは画期的すぎる。
短い文章がざっと読めるtwitterも便利だし、画像や動画で視覚に訴えかけてくるinstagramもどっちも使う。
最近の若い人は読書の機会が減ったとかなんとか何年も前から聞くことがあるけど、そういう意味では別に、違う形ではあれどみんななんかしら読んでるしいいと思う。
どっちも本当に素晴らしいSNS、だしお世話になっている。
でも私のトレンドはちょっと昔に戻って、ブログとかなのだ。
昔もブログは書いていた。どこ行ったとか、何食べたとか。いつだか久しぶりに検索して出てきた自分のブログが恥ずかしくて爆死しそうになった。
僅かな記憶を頼りにパスワードをひたすら打ち込んだ。それからソッコーで消した。
今思えばリテラシーもクソもない。
tiktokはなんとなくインストールしていない。
誰かがこれおもしろいよって言ってくれるのは見せてもらうくらいで。面白いが、私は隅っこの人間なので、ランダムに明るい人間が手足振り回して踊ってる動画がでてくるのは恥ずかしくて直視できない。もれなく目が焼け死ぬ。
あぁ〜〜マークザッカーバーグになって何もしないでいきたい〜〜〜〜